常設展示・作家
ART & ARTISTS
香りの森
Fragrant Forest
气味森林
香氛森林
향기의 숲
数十万本の紙縒り(こより)で構成された、柔らかな質感の空間です。樹林に見立てた柱7本に穴が開いており、顔を入れると岩出山の自然をもとにした香りや自然の奏でる音が広がります。
This space consists of hundreds of thousands of paper strings and has a soft feel. Holes are opened on the seven pillars that express a forest. When you put your face into the hole, you will be surrounded by the fragrance and sound that reproduce nature on here Iwadeyama.
数十万根的捻纸构成的柔软质感的空间。寓意着树林的7根柱子有开孔,将脸伸入孔中,可以体验到岩出山的自然气味与自然声响。
數十萬根的撚紙構成的柔軟質感的空間。寓意著樹林的7根柱子有開孔,將臉探進去,可以體驗到岩出山的自然香氣與自然聲響。
수십만 개의 종이 끈으로 구성된 부드러운 질감의 공간입니다. 수림을 본딴 기둥 7개에 구멍이 뚫려 있는데, 여기에 얼굴을 넣으면 이와데야마의 자연을 바탕으로 한 향기와 자연이 만드는 소리가 펼쳐집니다.
石田 智子【いしだ ともこ】
紙縒りアート Fragrant Forest
1958 大阪府生まれ
1982 京都精華大学美術学部染織科卒業
1991 福島県三春町・福聚寺に嫁ぎ、紙撚による作品制作を始める 現在三春町在住
受賞歴
1995 「国際掌中新立体造形展」準大賞(名古屋、日本)
1998 「第9 回国際タペストリー・トリエンナーレ」大賞、美術 館賞(ウッジ、ポーランド) リリアン・エリオット賞(フォートコリンズ、アメリカ)
2000 「第9 回国際レース・ビエンナーレ」ファビオラ女王大賞(ブリュッセル、ベルギー) パブリックコレクション Museum of Art and Design( 旧American Craft
Museum) (ニューヨーク、アメリカ) Museum of Costume and Lace (ブリュッセル、ベルギー) 感覚ミュージアム(岩出山、宮城) 西武百貨店(有楽町、東京)
福島県立美術館(福島、福島)
展覧会
1983 個展(ギャラリー16、京都) 3人展「もののありかたを追求する」(道特画廊、札幌)
1984 多種多様態展(大阪現代美術センター、大阪) ファイバーアートミニアチュール展(ギャラリーマロニエ、京都/ワコール銀座アートスペース、 東京/スカイプラザ・クラフトV、石川/ NAA ギャラリー、韓国)
ワークショップ「縫う手と自分と縮む布」(真駒内青少年会館、北海道)
1985 個展(有楽町西武ファブリックギャラリー、東京)
1986 個展(ギャラリー16、京都) 日本現代織物造形展(台北市立美術館、台湾)
1993 ファイバーアート展「糸と布の可能性」(福島県立美術館、福島)
日本のファイバーアート展「光と影」(ノースダコタ州立美術館、アメリカ)
1995 国際掌中新立体造形展(吹上ホール、名古屋) 個展(ギャラリーマロニエ、京都)
1996 建築に挑むソフトスカルプチャー展「壁・X」(ワコール銀座アートスペース、 東京/ギャラリーマロニエ、京都) 「知的遊技」展(ギャラリーナノリウム、山梨) 「誓いと祈り」展(一関文化センター、岩手)
朝日現代クラフト展招待出品(阪急百貨店、大阪・東京) 個展(ギャラリーナノリウム、山梨)
1997 現代作家立体小品展(ギャラリーマロニエ、京都/ワコール銀座アートスペース、東京)
1998 第9回国際タペストリー トリエンナーレ(中央染織美術館、ポーランド)
1999 個展(ジャンベルク市立美術館、チェコ) 個展(アートスペース21、東京) 4人展(ギャラリー人、東京)
2000 個展(プリシード・ホワイエ、福島) 常設作品として出品(感覚ミュージアム《香の森》宮城) 第9回国際レース・ビエンナーレ:現代美術(衣装とレースの美術館、ベルギー)
2001 第9回国際レース・ビエンナーレ:現代美術(ハイデルベルクテキスタイル美術館、ドイツ)
2002 エイブルアート「見えるもの 見えないもの 心のかたち」展( ビッグアイ、福島) 「ガラス & ファイバーアート展」(喜多方市美術館、福島)
2003 個展(衣装とレースの美術館、ベルギー) 個展( ギャラリーナノリウム、山梨)
2004 個展(ペーチ市美術館、ハンガリー)
2005 A MUSE LAND 展(北海道立近代美術館、札幌) The Common Garden 展(日本美術技術博物館 Manggha /中央織物博物館、ポーランド)
2006 国際ペーパービエンナーレ・オランダ(CODA 美術館/ライスワーク美術館、オランダ) 個展(ギャラリーなうふ、岐阜)
2007 個展(ギャラリーマスガ、福島) 東京芸大創立120周年記念公演 オペラ「白狐」( 岡倉天心作)舞台に設営 (旧東京音楽学校奏楽堂、東京) BIWAKO ビエンナーレ(近江八幡カネ吉別邸、滋賀)
風と土の芸術祭:会津美里町誕生記念(会津美里古商家、福島)
2009 2人展(TOPOGRAPHIE DE L’ART、フランス) 「まち」がミュージアム!(ギャラリーナノリウム/富士吉田市内古民家、山梨) 博物館から覚醒するアーティスト達(福島県立博物館、福島)
個展(ギャラリーSUGATA、京都)
2010 妙心寺展 梵鐘設営のための装飾(九州国立博物館、福岡) 個展(三菱地所アルティアム、福岡) 25年目の贈りもの コロー・ルノワールから郷土の美術家まで(福島県立美術館、福島) NEW MATERIAL
WORLD(シェルダン美術館、アメリカ) 個展(ギャラリーSUGATA、京都)
2011 個展(ギャラリーなうふ現代、岐阜)
2013 個展(ギャラリー然花抄院、京都) 個展(ギャラリーナノリウム、山梨) 個展(茶庭 渋谷然花抄院、東京)
2018 “BUDDYZM” JAPAN Art Festival(日本美術技術博物館 Manggha、ポーランド) Islamic Art Festival “21th Session”-“HORIZON”
(シャールジャ美術館、アラブ首長国連邦)
2020 個展 雑華(郡山市立美術館、福島)
Tomoko Ishida
1958 Born in Osaka
About this work and the Kankaku Museum
For the last several years, my works have been based on the concept of creation through daily life. All
aspects of time, materials, and the place of creation coexist with daily life. When I started on this
work, I could not spare a certain length of time. Therefore, I had to find out a unit of work that could
be completed in seconds. The work had to be started and ended anytime, anywhere, without calling for any
special place. I also looked for materials that were no longer required in daily life, that could be
acquired without any special efforts, and that did not call for special trouble to purchase. I was
preoccupied by daily chores and errands and with homemaking tasks emerging one after another if I intended
to do. Under those circumstances, I wanted to confirm my presence a little, instead of simply getting
carried away. I polished rice and cleaned my home every day, which appeared the same and done by the same
person every day, but were actually never the same. When I finally could find certain time, the simple
repeated work in a short unit of time had become a pleasant activity for me. I also noticed that, when
everyday materials that used to pass in front of me changed their forms in my hands, that simple activity
brought an unknown joy to me. This may be the religious, ritual, or ecstatic feeling brought by the
repetition of a simple activity. It is not the power of a single piece nor the dynamism of the aggregated
pieces. It does not seem to be the joy of my “ego,” either. It has become such a mysterious activity. As a
Buddhist term Koke (unsubstantial) suggests, the paper piece in my hands can be regarded as a tip of this
ever-changing world. The paper strings have completed their certain roles and have come into contact with
me in the middle of their ever-changing course. The speed or direction of change may vary from time to
time. Still, my hands actually feel their changes. Of course, the changes that occur in our daily life are
more dynamic than those of paper. The unsubstantial activity of twisting changes in the midst of changes
somehow feels like taking off ornaments and clothes to make myself naked. I feel as if the activity is
also being performed inside myself, while supporting myself with warmth even in the midst of severe
changes that resemble a cold wind. I have heard a Zen phrase wondering what is lacking after being born
naked. It is strange that my activity even gives me such a feeling. I would be extremely happy if my work
helps you feel the strength of fragile things, tranquility among dynamism, stability in the midst of
changes, and the substance behind an unsubstantial state.
石田 智子
1958年 出生于大阪府
关于这次的作品和感觉博物馆
这几年我所制作的作品,都是从日常生活中与意识一起产生的行为。时间、素材、制作场所等等,全部都与日常生活共存共生。比如开始创作这件作品的时候,没法空出时间来,所以感觉一个作业就是以秒为单位的行为。没法确保场所,需要一种无论何时、无论何处都能开始或停止的行为和作业。素材也不是特别去购买的,我尽量寻找那些生活中到处都有、无需费力就能入手的东西。虽然想要创作,但家务事源源不断,每天生活都是手忙脚乱的,我不希望自己并非只是在过活,哪怕一点点也好,想要确认下自己的存在,就是这样的一种心情。看上起似乎每天都一样的淘米、打扫卫生,以及同样的我,但每一次又并非一样……。然后我发现,即使有了时间,这些短时间内重复的作业,对于我而言已经成为一种快乐的行为。日常的、本来只是从我眼前一扫而过的素材,在我手中发生变化,单单这样的行为,就能给我带来莫名的喜悦。这也许就是单纯反复行为所具备的宗教性、仪式性和沉迷。无论如何,这并不是单独一片的力量,也不是集体的震撼力。我觉得它也并不是“我”之自我带来的喜悦。这正变成不可思议的行为。仔细想想,正如“虚幻”这一佛家用语所言,这个不断变化的世界的那些可称为末节的梦幻泡影在我手中闪现。纸片们在结束某种使命之后,在不断奔赴新的变化的途中与我相遇。有时变化的速度或是方向可能出现改变。但无论如何,我的手都能切实感受到变化本身的出现。当然,日常生活中时刻发生比纸的变化更为生动的变化。如同在变化中织就变化一般虚幻的行为,不知为何给我一种除去矫饰、脱去衣衫走向身无外物般的感觉。这种行为,仿佛植根于我的内心,即使面对如寒风般的变化,也能给予我温暖支撑。我甚至能感受到禅语所说的“身无一物来/何不足也”的心境,着实不可思议。弱小中之坚强、动中之静、变化中之稳定、虚幻背后之真实,若能让人由此体会,则我将不胜喜悦。
石田 智子
1958年 大阪府出身
關於這次的作品和感覺博物館
這幾年我所製作的作品,都是從日常生活中與意識一起產生的行為。時間、素材、製作場所等等,全部都與日常生活共存共生。例如開始創作這件作品的時候,沒辦法空出時間來,所以感覺一個作業就是以秒為單位的行為。沒辦法確保場所,需要一種無論何時、無論何處都能開始或停止的行為和作業。素材也不是特別去購買的,我儘量尋找那些生活中到處都有、不需要怎麼努力就能入手的東西。雖然想要創作,但家務事源源不斷,每天生活都是手忙腳亂的,我不希望自己並非只是在過活,即使只有一點點也好,想要確認一下自己的存在,就是這樣的一種心情。看上起似乎每天都一樣的洗米、打掃,以及同樣的我,但每一次又並非一樣……。然後我發現,即使有了時間,這些短時間內重複的作業,對於我而言已經成為一種快樂的行為。日常的、本來只是從我眼前一掃而過的素材,在我手中發生變化,單單這樣的行為,就能為我帶來無以言語的喜悅。這也許就是單純反覆行為所具備的宗教性、儀式性和沉迷。無論如何,這並不是單獨一片的力量,也不是集體的震撼力。我也覺得並不是「我」之我的喜悅。這正變成不可思議的行為。仔細想想,正如「虛假」這一佛家話一般,這個不斷變化的世界、甚至於可以說末端泡沫般的面貌就在我的手中。紙的任務終於迎來結束,在不斷變化的過程中與我相關。有時變化的速度會出現變化,或方向有些改變。但每一個變化,我都能在自己手中真切感受得到。當然,日常生活中時刻發生的變化比紙的變化更具生機。變化中交織成變化的虛假行為,不知為何給我一種撤去所有裝飾、脫下衣服裸露一切的感覺。其行為,讓我覺得內心即使寒風呼嘯,也有暖意支撐。禪語道「人生來就是赤裸裸/何不足」,但能有如此心境,也確實很不可思議。弱小中的堅強、動中有靜、變化中有穩定、虛假背後的真相,如果體驗者能有這些感受,我會深感榮幸。
이시다 도모코
1958년 오사카부 출신
이번 작품과 감각 뮤지엄에 대하여
지난 몇 년간 내가 제작한 작품은 일상 생활 속에서, 라는 의식과 함께 만들어진 행위였다. 시간, 소재, 제작 장소 등 모든 것이 일상 생활과 공존한다. 예를 들면 이 작품을 만들기
시작하였을 때는 제대로 된 시간을 확보할 수 없었기 때문에 작업 하나를 초 단위로 해야 하는 행위를 발견한 느낌이었다. 장소를 차지하지 않고 언제 어디서라도 시작하거나 그만둘 수 있는 행위,
작업일 필요가 있었다. 소재도 일부러 찾아서 사지 않고 생활 속에서 필요 없어진 물건, 가능한 한 큰 노력없이 확보할 수 있는 물건을 찾았다. 하려고 생각하면 끝이 없는 집안일과 치열한 일상
생활에 쫓기는 가운데 단지 시간을 보내는 것만이 아닌 무언가 조금이라도 자신의 존재를 확인하고 싶다, 그런 마음이 들었다. 언뜻 매일 똑같아 보이는 밥하기, 청소, 똑같이 내가 하는 일이라도
그것은 한 번도 똑같은 적이 없었다고 말이다…. 그리고 어느덧 시간에 여유가 생겼을 때, 그 짧은 단위 시간의 단순한 반복 작업이 나에게 유쾌한 행위로 변하였다는 사실을 깨달았다. 또
일상적으로 나를 지나칠 뿐인 소재가 내 손 안에서 변화한다는 그 단순한 행위가 무언가 알 수 없는 기쁨을 가져다준다는 사실도 깨달았다. 그것은 단순한 행위의 반복 그 자체가 가진 종교성,
의식성, 황홀함일지도 모른다. 어쨌든 그것은 한 조각의 힘 때문이 아니었으며, 또 집합체가 주는 압력의 탓도 아니었다. 또 나라는 ‘자신’에서 비롯된 기쁨도 아니었던 것 같다. 신비한 행위가
되어가고 있었던 것이다. 생각해보면 불교 용어인 ‘허가(虛假)’라는 말처럼 변화하는 이 세계, 나아가 말단이라 할 수 있는 덧없음의 모습이 내 손안에 존재한다. 종이들은 무언가의 역할을
끝내고, 또 점점 변화하는 도중 나와 관계를 맺어준다. 때로는 변화 속도가 바뀌거나 혹은 방향이 조금 바뀌기도 한다. 하지만 무엇이 되었든 내 손에는 변화 그 자체를 실감으로써 존재한다.
그리고 당연히 일상 속에서는 종이의 변화보다 더 역동적인 변화가 일어난다. 변화의 한가운데에서 변화를 만들어내는 거짓된 행위가 마치 장식과 옷을 벗고 알몸이 되어가는 것처럼 느껴지는 이유는
무엇일까. 마치 그 행위가 내 중심에 존재하여 설령 겨울 바람과 같은 변화에도 따뜻하게 나를 지탱해주는 것 같다. 그런 기분이 든다. 일본에는 ‘알몸으로 태어났는데 무엇이 부족하나’고
불교에서는 말하는데, 왠지 모르게 그런 심경도 느껴져 신기할 따름이다. 연약함 속의 강함, 동적 속 정적, 변화 속 안정, 거짓 뒤의 실상 같은 것을 느낀다면 더할 나위 없는 행복일 것이다.
吉武 利文【よしたけ としふみ】
https://sakonnotachibana.jimdosite.com/
香りの森 他 Fragrant Forest
1955年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科美学美術史卒業。
1997年香りのデザイン研究所を設立。
別府大学客員教授 一般社団法人日本スパ協会理事
富山県立山博物館野外施設「まんだら遊苑」や宮城県大崎市「感覚ミュージアム」の香りの企画・演出。コニカミノルタプラネタリウムの満天(サンシャインシティ)、天空(東京スカイツリータウン)、有楽町プラネタリアなどのヒーリング番組の香りのプロデュース。バンド「SEKAI
NO
OWARI」の日産スタジアムでの7万人の野外コンサートでの香りの演出など、21世紀の新しい香りの演出・企画を展開している。また日本に自生している植物からの精油や、伝統的な植物の香りの活用方法を見直す「香りの地産地消」を提案。それに基づく香りによるブランディング、まちづくりをプロデュース。
関連実績
コニカミノルタプラネタリウム満天、東京スカイツリータウンのコニカミノルタプラネタリウム天空、有楽町プラネタリアのヒーリングプログラムの香りの企画・演出を担当。
三重県鳥羽市の「橘の香りによるまちづくり」の企画立案
著書
『匂いの博物誌』リブロポート(共著)
『香りを楽しむ』丸善ライブラリー(共著)
『橘』 法政大学出版局
『香りの百科事典』 丸善(株)(編纂委員)
『 橘の香り 』〈古代日本人が愛した香りの植物〉(香り選書 9)フレグランスジャーナル社
『香料植物』 法政大学出版局
2007年 環境省による「感覚環境のまちづくり」のテキスト作成検討会委員として参画
2009年 第18回全国ハーブサミット別府大会にて記念講演演題「別府の香り遺産 石菖の香り」
「おおいた観香マップー別府編ー」監修
スパリゾートハワイアンズ フラガールミュージアム香りの演出
2014年 バンド「世界の終わり」富士急ハイランドでの2万人の野外コンサートにて、香りの演出
沖縄南風原文化センターの陸軍病院跡の壕内の臭気の再現
関かおり主宰コンテンポラリーダンス 「マーモント」(ニューヨーク公演)での香りの演出
2015年 バンド「世界の終わり」の日産スタジアムでの7万人の野外コンサートでの香りの演出
スパリゾートハワイアンズのサウナや与市の蒸し湯の香り、薬種の監修
Perfumary Organ(香調オルガン)の製作プロジェクトに香りの監修として参画
スパリゾートハワイアンズ サウナ・蒸し湯の香りの監修
2016年 スパリゾートハワイアンズ フラのショーにおける香りの演出
クレヨンしんちゃん展「ひろしの靴下の臭い」演出
琉球ガラス村RIrianのインテリアフレグランスの開発
2017年 関かおり主宰コンテンポラリーダンス モントリオール・香港公演での香りの演出
川崎チッタ「ミモザ祭り」での香りの演出
2018年 日仏文化交流イベントSAMURAI JAPONにて、日本文化を香りで紹介する。(ルマン・パリ)
2019年 全国ハーブサミットin淡路のパネルディスカッションの司会を担当
2020年 川崎チッタ「ミモザフェア」にてミモザの香りの演出
2020年 京都上賀茂神社「着初式」における橘の手水、消毒液の奉納に参画
2021年 京都虎屋ギャラリーにて、鎧作家明珍阿古氏の襲名展における、橘に関わる展示資料の協力、内覧会でのトークショーの講演
2021年 全国ハーブサミット中芸のプレイベントとしてオンラインによる講演
2022年 関かおりコンテンポラリダンス公演にて香りの演出
2022年 別府鉄輪温泉の蒸し湯サミットで、石菖についての講演
2022年 大分香りの博物館にて講演
2024年 福岡にての森光瞳師主催の香の会に参画
2024年 沼津御用邸にての橘の鎧の展示会に参画
2025年『香道蘭之園』の香の祖、香の矩模についての解説文の冊子を上梓
2025年 橘寺にて聖徳太子への献香の儀式での講演
【香りの演出へ内部リンク】 →Fragrance direction for the Kankaku Museum/Toshifumi Yoshitake
【香りの演出へ内部リンク】 →感觉博物馆香氛演绎/吉武 利文
【香りの演出へ内部リンク】 →感覺博物館香氛詮釋/吉武 利文
【香りの演出へ内部リンク】→감각 뮤지엄 향기 연출/요시타케 도시후미
感覚ミュージアムの香り計画
人間の五感の中でも嗅覚で感じる匂いや香りは、目に見えないものであり、不確かで曖昧な存在かもしれません。しかし不確かな故に私たちの日常生活に潤いを与え、豊かなイマジネーションをかき立ててくれるものであります。感覚ミュージアムにおいても、随所でこうした匂いや香りを体験していただけるように計画しています。特に岩出山の四季折々の自然の中の匂いや香りをイメージしたものが多くあります。「灯台下暗し」といいますが、案外自分の住んでいる町の匂いや香りは、あまりにも身近で気がつかないものです。感覚ミュージアムでの嗅覚体験を通して、岩出山の自然の豊かさの再認識ができたらと考えております。また現代という時代は、物質文明の発達により、自然の中で生かされているという人間存在の本来の姿を見失ってしまったところに、様々な行き詰まり現象が起こってきているように感じられます。私たち現代人は、自分で生きる以前に生かされているという実感を持つことが大事なのではないでしょうか。この生かされているという実感は、理性だけではなく感性、感覚によって得られるものです。そこに嗅覚のような原始的な感覚の今日的な意味もあるのではないのでしょうか。ある匂いや香りを嗅いで、過去の記憶がまざまざと甦ってくることがあります。(香りの履歴現象とも呼ばれています。)
このような匂いや香りの存在は、人々の人生の記憶を再現してくれるばかりでなく、人間存在の本来の意味をも気付かせてくれるのかもしれません。ホモ・サピエンスのサピエンスという意味は、匂いを感じる、あるいは味と香気を受けるという意味であったそうですが、何か象徴的に思えます。人間存在の再認識といいますと大げさですが、感覚ミュージアムにおける匂いや香りの体験が、自然の中で生かされていることの気付きとなりましたら幸いです。
和の糸
これまでの私の制作は、全て工業的に作られた紙を使ってのものだった。それも捨てるのが勿体ないという感覚で、新聞や折込チラシ、使用済み包装紙などを使っていた。
今回の作品は「ミュージアム創立25周年リニューアル」とのことで始まったのだが、ここで今一度、六角鬼丈先生(感覚ミュージアム設計/コンセプトデザイン)がどういう空間にされたかったのか、また感覚ミュージアムでしかできないことは何か、あらためてじっくり考えてみた。そして消極的な考え方ではあるが、この先25年後には自分がこの世にいるかどうかは分からない、それどころか生きていても、5年後10年後のメインテナンスもままならないかもしれない、そのことを考えざるを得ず、いつしか傷みにくく強靱な素材を探していたのである。
岩出山の歴史や産業などを振り返り、ふと伊達政宗公のことを憶いだした。昔は国を治めるのに、何としても紙が必要だったそうだが、政宗公はある時期、他藩からも腕利きの和紙漉き職人を呼び、質の良い楮栽培も精力的に行なったらしい。とにかく上質で使いやすい紙を求めていたと、どこかの論文で読んだのを憶いだしたのである。
たまたま私の手許には、昭和の養蚕盛んなりし頃、繭の保存や運搬に使われた紙袋が大量にあった。またこじつけのようだが、私が住む福聚寺は政宗公の正室愛姫の産まれた田村家の菩提寺である。そんなこんなの縁が絡み合い、私の中にとある制作法が浮かんできた。手許の繭袋を一度砕いて繊維状に戻し、新しい楮と合わせ、和紙によって和紙を再生するのである。
しかしそれは簡単ではなく、試行錯誤の連続だった。ウールの糸は紡いだこともあるが、和紙の糸は初めてだ。当初は着物を織れるほど均一な糸を心がけたがこれは難しく、観る人に絡みつくのも難点だった。さまざまな糸を作っては天井から吊すうちに、やがて私はヨレヨレの糸を見てふっと心が解放されるような感覚を覚えたのである。
「ああ、このままでいい」。私がかけた撚りによって、和紙が糸(紐)になり、その撚りのせいでくねくねと勝手によじれてくる。その自然な在り方に任せたままの糸で、空間に向き合ってみたくなったのだ。「和」とは和紙の和でもあるが、「なごみ」「やわらぎ」「あえる」とも訓むことに気づいた。
糸の色に差があるのは新しい楮の繊維と古袋の繊維の割合による。古袋の繊維が多いほど濃くなる。元の紙の長さは同じだが、糸の長さが異なるのは撚りの多少のせいだ。ちょっとした加減で紙がちぎれ、紡毛機に巻きついてしまうほど撚りが入ってしまった極端に短い糸もある。その結果はご覧のとおりである。
「香りの森」の「森」という言葉からは、「生命の源」あるいは「命の循環」などのイメージが湧く。「森」では力の強い大きな動物から目に見えない微生物まで、互いに関係しあいながら生きている。私が特に興味をもつのは、地中にいる菌が植物の根に入り込み、根の中から菌糸を地中に伸ばして養分を吸い込み、それを植物に供給しているはたらきだ。みかえりに植物は光合成で得た糖類などを菌にも供給する。森の生き物たちはいわば深い共生関係。善悪も強弱も簡単には決められず、むしろ一体化した生命を生きているのだ。人間にとってもこれら微生物がいなくなってしまう世界では生きてはいけない。
老子は「にゆう柔じやく弱は生の徒なり」と言った。柔らかく弱いことこそ生の仲間」という意味だそうだが、ここでも工業的に作られた極細の紙糸と手撚りの糸が互いに絡みあうことで撚りが安定し、柔らかいまま確実に佇んでくれている。そして全体の関わりはもはや私の思考を超えている。所々の柱からは岩出山の音と香りが漂う。
どうかこの森にしばし佇み、「生命の源」や「命の循環」に思いを馳せていただきたい。
作品設営に当たっては、ミュージアムスタッフの皆様はじめ岩出山の沢山の方々と遠路駆けつけてくれた友人三人に手伝っていただき、お陰でなんとか予定通り約11日で仕上がった。和紙の制作には福島県上川崎の安斎保幸氏、繭袋の扱いについては八島利幸氏にご指導頂いた。また王子ファイバー株式会社様、有限会社イトケイ様、三春縫製株式会社様にも特段のはからいで助けて頂いた。ここに心より感謝申し上げます。