常設展示・作家

  • 香リの森

香りの森

数十万本の紙縒り(こより)で構成された、柔らかな質感の空間です。樹林に見立てた柱7本に穴が開いており、顔を入れると岩出山の自然をもとにした香りや自然の奏でる音が広がります。

石田智子

紙縒りアート
Fragrant Forest

1958 大阪府出身
1982 京都精華大学美術学部染織科卒
1983 個展 ギャラリー16(京都)
三人企画展「もののありかたを追及する」道特画廊(札幌)
1984 多種多様態展 大阪現代美術センター(大阪)
1985 企画個展 有楽町西部百貨展(東京)
1986 個展 ギャラリー16(京都)
日本現代織物造形展 台北市立美術館(台湾)
1993 ファイバーアート展「糸と布の可能性」福島県立美術館(福島)
日本のファイバーアート展「光と影」ノースダコダ美術館(米国)
1995 国際掌中新立体造形展 吹上ホール(大阪)
個展 ギャラリーマロニエ(京都)
1996 建築に挑むソフトスカルプチャー展「壁・X」ワコール銀座アートスペース(東京)
ギャラリー マロニエ(京都)
「知的遊技」展 ギャラリー ナノリウム(山梨)
三人展 一ノ関文化センター(岩手)
朝日現代クラフト展招待出品 阪急百貨店(大阪)
企画個展 ギャラリー マロニエ(京都)
1997 現代作家立体小品展「壁」ギャラリー マロニエ(京都)
ワコール銀座アートスペース(東京)
1998 第九回国際タペストリー トリエンナーレ
ウッジ・テキスタイル中央美術館(ポーランド)
1999 企画個展 ジャンベルク市立美術館(チェコ)
企画個展 アートスペース21(東京)
企画四人展 ギャラリー 人(東京)
2003 衣装とレースの美術館(ベルギー)
2004 ペイチ・ガレリア(ハンガリー)

 

受賞
1997 国際掌中新立体造形展 準大賞
1998 第九回国際タペストリー トリエンナーレ 大賞
第九回国際タペストリー トリエンナーレ 美術館賞
リリアン エリオット賞(コロラド 米国)
2000 「第9回国際レース・ビエンナーレ」ファビオラ女王大賞 衣装とレースの美術館(ベルギー)

今回の作品と感覚ミュージアムについて ここ数年私の制作してきた作品は、日常生活の中から、という意識と共に生み出された行為であった。時間、素材、制作場所など、全てが日常生活と共存している。たとえばこの作品を始めた頃は、まとまった時間がとれないため、一作業が秒単位なる行為を見つけたという感じである。場所を取らず、何処でも何時でも始め又は止められる行為・作業である必要があった。素材もわざわざ探し買い求めるというものではなく、生活の中でいらなくなったもの、できれば大した努力もせず手に入れられるものを探した。やろうと思えば限りなくある家事、ドタドタバタバタと日々の生活に追われる中、ただ過ぎていってしまうのではなく、何か少しでも自分の存在を確かめたい、そんな気持ちになったのです。一見同じに見える毎日の米研ぎ、掃除、同じ私がするものであっても、それは一回として同じものはないのだと、、、、。そしていつしか時間がとれる状況になっても、この短い単位時間の単純な繰り返し作業は、私にとって快い行為になっていることにも気づいた。そしてまた日常的な、私の前を通り過ぎるだけだった素材が、私の手の中で変化していくというそれだけの行為が、何か判らない喜びをもたらしていることに気づいた。それは、単純な行為の繰り返しそのものが持つ宗教性、儀式性、恍惚であるのかもしれない。なにしろそれは、1ピースの力でもなく、また集合体としての迫力のせいでもない。 また私という「我」による喜びでもないような気がする。不思議な行為になりつつあるのだった。考えてみれば「虚仮(こけ)」という仏教語のとおり、変化しつづけるこの世界の、さらに末端ともいうべきうたかたの姿が私の手の中にある。紙たちはなんらかの役目を終え、またどんどん変化してゆく途中に私とかかわってくれるのだ。時には変化のスピードが変わったり、あるいは方向が少し変わったりもする。しかしいずれにしても私の手には変化そのものが実感としてある。そして勿論、紙の変化よりもダイナミックな変化が日常の中に起こる。変化の只中で変化を紡ぐような虚仮なる行為が、まるで飾りをとり、衣服を脱いで裸になっていくように感じるのは何故だろうか。まるでその行為が私の真中にあって、たとえ寒風のような変化にも暖として私を支えてくれる。そんな気がするのである。「裸にて/生まれてきたに/何不足」と禅では言うそうだが、何かそんな心境すら感じてしまうから不思議だ。かよわきもののなかの強さ、動中の静、変化の中の安定、虚仮の背後の実相、そんなことを感じて頂ければ無上の幸せである。

 

吉武利文
https://sakonnotachibana.jimdosite.com/

香りの森 他
Fragrant Forest

1955 東京都出身 慶応義塾大学文学部哲学科美学美術史卒業
1981 香りの教室「クチュール パルファン スクール」入学 インストラクター 調香師 島崎直樹氏に師事
1983 川上智子氏と「きゃら香房(株)」設立
1993 退社 フリーとなる
スーパーミュージカル「源氏物語」の香りを演出 
1995 富山県立山博物館野外施設「まんだら遊苑」の香りの演出
1997 香りのデザイン研究所設立
21世紀に向け、香りの演出、企画を展開
2001 三上賀代独舞『非時香果』の香り演出
2006 とりふね舞踏舎『鬼燈』

著書
「匂いの博物誌」リブロポート
「香りを楽しむ」丸善ライブラリー
「橘」法政大学出版局

人間の五感の中でも嗅覚で感じる匂いや香りは、目に見えないものであり、不確かで曖昧な存在かもしれません。しかし不確かな故に私たちの日常生活に潤いを与え、豊かなイマジネーションをかき立ててくれるものであります。感覚ミュージアムにおいても、随所でこうした匂いや香りを体験していただけるように計画しています。特に岩出山の四季折々の自然の中の匂いや香りをイメージしたものが多くあります。「灯台下暗し」といいますが、案外自分の住んでいる町の匂いや香りは、あまりにも身近で気がつかないものです。感覚ミュージアムでの嗅覚体験を通して、岩出山の自然の豊かさの再認識ができたらと考えております。また現代という時代は、物質文明の発達により、自然の中で生かされているという人間存在の本来の姿を見失ってしまったところに、様々な行き詰まり現象が起こってきているように感じられます。私たち現代人は、自分で生きる以前に生かされているという実感を持つことが大事なのではないでしょうか。この生かされているという実感は、理性だけではなく感性、感覚によって得られるものです。そこに嗅覚のような原始的な感覚の今日的な意味もあるのではないのでしょうか。ある匂いや香りを嗅いで、過去の記憶がまざまざと甦ってくることがあります。(香りの履歴現象とも呼ばれています。) このような匂いや香りの存在は、人々の人生の記憶を再現してくれるばかりでなく、人間存在の本来の意味をも気付かせてくれるのかもしれません。ホモ・サピエンスのサピエンスという意味は、匂いを感じる、あるいは味と香気を受けるという意味であったそうですが、何か象徴的に思えます。人間存在の再認識といいますと大げさですが、感覚ミュージアムにおける匂いや香りの体験が、自然の中で生かされていることの気付きとなりましたら幸いです。